2015年御翼2月号その4

自分が神の奇跡になる ―― ニック・ブイチチ師

  

 ニック・ブイチチ(1982年オーストラリア生まれ―33歳)は、生まれつき両手両足がない(立って歩けるほどの足先はある)。障害の理由は医学的に説明できないという。小学校で障害のことでいじめられると、手足をくださいと祈ったが、応えられたい。神が痛みを取り去ってくれないなら、自分で取ってやると、10歳の時、自宅の風呂にもぐって自殺を試みる。しかし、自分をこよなく愛してくれる両親(父は牧師)を悲しませたくないと、思いとどまった。13歳で、一生寝たきりでありながら、人の役に立つことをしている人物の記事を読む。それに励まされ、自立して、自分の人生を他の人々を勇気づけるために使おうと決心した。彼は大学で会計学と財政プランニングの学士号の二つを取り、19歳になると不動産への投資もした。そして、講演活動を通して世界37ヵ国で四億人に顔を合わせて福音を伝えている。ニックさんは2012年に日系人のカナエ・ミヤハラさん(父・日本人、母・メキシコ人)と結婚、翌年には長男キヨシ・ジェームス・ブイチチ君が生まれている。
 子どもの頃、手足をくださいと祈った。今のニックはこの発想を“もしXがあったら、幸せになれるのに”妄想と呼んでいる。人間は美しさや成功、莫大な資産があれば幸福が手に入ると信じている。しかしお金は、心の痛みをいやせない。どんなにお金があっても、自分で自分のした失敗をゆるすのにも役立たない。自分を傷つけた人をゆるす力を与えない。この世の終わりにどこに行くかを知るために、手足は何の役にも立たない。
 神はニックに手足を与えられなかったが、彼には喜びがある。それは神の国を分け与えるという幸せである。かつていじめられていたとき、同じ障害を持つ大人が現われ、いじめっ子たちに説教してくれないだろうかと思った。そんな奇跡が起こらないならば、自分が他人のために、そのような奇跡の人となろう、とニックは決意したのだった。そして、神の国の祝福を宣べ伝えるのだ。
 生まれた時、医者には決して歩けないだろうと言われた。神がニックにどんな人生を用意しておられるかなど分からなかったのだ。私たちは、奇跡がなくとも、神からの夢、人生の目的を見出そう。誰もが使命があって生まれてきている。いつだって祈ってあげるべき人、愛情を注ぎ、慰めるべき人がいる。愛こそ最も偉大なものであり、イエス様が十字架上で示してくださった愛ほど大きなものはない。人間にとって手足がないよりも、罪悪感や人生への、そして死への恐れを持つことのほうがつらいのだ。希望、目的を見出したければ、イエス・キリストの元に来よう。
 どこに行くにも、神と共に、神のご計画に沿って歩んでいるかどうかが大切なのだ。両親は、彼が一生涯寝た切りになると思っていた。普通にパソコンが使え、サーフィン、スキューバダイビング、スカイダイビングができると思っていなかった。31歳(2013年現在)で世界四億人に福音を宣べ伝える伝道師になるとは思ってもみなかった。(立つはずもない鳥肌が手足もないのに立つ、と言って、笑わせる。)それが神の御業である。自分は命を差し出し、神に人生をお委ねしただけである。手足を与える奇跡が起こらないのなら、魂を癒し、考えを新たにし、神のために生きる者としてください、と祈った。種は蒔かれて、一度死ななければ実を結ばない。自己中心の思い、計画を主に差し出すとき、人生は素晴らしいものとなる。
 ニックは手足がないという十字架を背負っている。しかし、イエス様に従って行くことで、希望と喜びに満ちた人生となっている。

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